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十五代酒井田柿右衛門が考える「用の美」無骨な器でもいい。「用の美」の正解は一つじゃない

広い視野と柔軟な発想で
現代人のための焼き物を作る

「今右衛門窯」「源右衛門窯」と並び、“有田の三名窯”と称される「柿右衛門窯」。17世紀に確立された「柿右衛門様式」は、かつて欧州の磁器文化にも多大な影響を与えたと言われます。以来、脈々と受け継がれる伝統は、400年の時を超えてなお、十五代酒井田柿右衛門のもとで高みを目指していました。
初めて十五代に会う方は、シャープで理知的な雰囲気に軽い緊張を覚えるかもしれません。けれども実際は柔軟で広い視野の持ち主。新鮮な切り口で語られる会話は興味をそそるものばかりです。たとえば作陶にあたって何を意識しているのか尋ねると、答えは“流行”。その真意を、十五代はこう明かしてくださいました。
「私は常々、“『今』世の中が求めているもの”を送り出したいと考えています。昔の絵や文様の再現を期待されることもありますが、現代を生きる一人の人間として、『今』お客様に一番良いものをつくってみたいですね。それが受け入れられたら、結果的に流行を追ったことになるのかな」。
もちろん言われるがままつくるのではなく、そこには「柿右衛門窯」だけの技術と風格が加わり、自身が納得するベストな形で仕上げているそうです。
「それに、きっと昔の職人も同じ想いでつくっていたはず。だからこそ、新しいものをつくり続け、“これが『今』の十五代だ”と世に示す方が、私には大きな意味を持つのです」。
あくまで“使い手第一”の眼差しは、どこかシェイクスピアの大衆性に通じるものを感じます。十五代の作品もやがて歳月に磨かれ、後世の人々を楽しませるのでしょう。
他にも、ひまわり・どんぐり・竹といった絵柄を用いた作品で「有田に新たなモチーフを開拓した」と評判を得たり、代々「柿右衛門窯」を象徴する色であった「赤」をあえて封印してみたりと、型にはまらぬ気風を窺わせる逸話は探ればまだまだ現れそうです。
「工房は伝統に則った分業制なので、私が新しいものを発想し、職人たちがそれに歯止めをかける(笑)という役割分担で作陶しています。最初は両者の間にかなりのギャップがありますが、時間をかけたやりとりの中で調和がもたらされ、ようやく一つの作品が完成するんです」。
少子化などで家族あたりの食器購入量が減るなど、社会情勢の顕著な変化が陶芸界にも波及する昨今。こうした挑戦や試行錯誤こそ、歴史のバトンを次代に繋げる鍵となるのかもしれません。

自分なりの基準を持って
より良い器を選んでみる

独自の哲学で「柿右衛門窯」の伝統を守らんとする十五代。この泰然とした職人の目に、「用の美」はどのように映るのでしょう。
「私の場合、まず注目するのは佇まいですね。形が美しく、使い勝手がよければもっと良い。ただ美しいとはいっても、無骨だったりゴテゴテと複雑なものに惹かれることは多いし、使いにくいのに何故かまた手に取ってしまう器があるのも不思議ですよね。『用の美』には“形がシンプルなほど良い”という要素もあると捉えていますが、きっと正解は一つじゃない。そうした矛盾の中に、それぞれの『用の美』の答えが見つかれば面白いなと思います」。
そんな言葉の裏に、「『今』の常識を一度疑ってみよう」というメッセージがあるような気がしました。いろんな角度で物事を見れば、世界はさらに広がっていくはずだ─と。十五代もまた、自分のためにお猪口などを選ぶときは「この持ち方で本当にいいのかな」といったことを自問自答するのだそう。いろいろ試すなかで、納得できる正解を探していくのです。
「器選びにあたっては、皆さんなりの基準を一つ持っておくといいですね。普段どんな使い方をしたいのか。この縁は自分にとって持ちやすいのか。高台は高い方と低い方、どちらが好みなのか。そうやって比較を重ねていくと、さほど迷わず答えにたどり着けるものです」。
そしてもちろん、つくり手から器についてのコンセプトや助言を聞くことも大いに有効。そうした意味でも、今回の旅は、またとない機会になるはずです。
「私たちにとっても、事前にご説明できる場が増えるのは嬉しいこと。でも使い手側は、つくり手の意図とはまったく違う理由で購入されてもいいのです。お客様がご自分の意志と感性で買おうと決めたことが何よりも大事ですし、私もどんな使い方をされるのかを知れば勉強になります。そして10数年お付き合いするなかで、いつかその器の価値をすり合わせられたら良いですね。そんなやり取りもまた、焼き物の技術を進化させる力になるのですから」。

十四代今泉今右衛門が考える「用の美」常識や価値観に縛られず、焼き物と自由に遊んでほしい

数世紀も前に「用の美」を知り、
暮らしを豊かにしてきた日本人

「すべての窯元が独自の個性を持ち、各々が技術の集積と発展に努めた多様性。それが400年の歴史を紡ぐ有田の強みであり、魅力だと私は思います」。
そう話すと、十四代今泉今右衛門は柔和な笑みを満面に浮かべました。いわゆる“人間国宝”の肩書きから連想しがちな厳(いかめ)しさは微塵もなく、醸し出すのは円熟した人柄がもたらす温厚さ。それでいて、胸中では常に焼き物への情熱がたぎっているような─ふとそんなことを思わせる、若々しい眼差しの「今右衛門窯」現当主です。
「有田のように、多彩な方向性の窯元が1カ所に密集する地域は国内でも珍しいそうです。このことは、同時に有田と『用の美』をつなぐ大事な前提にもなっていますね」。
そう、焼き物の里として歩みだした瞬間から、有田は一貫して“求められた器”をつくりだす土地でした。茶道具の依頼があれば、お水指など日常にないものでもゼロからつくりあげ、焼き物の海外輸出が盛んになると、東インド会社からのリクエストを反映した欧風テイストの製品を手がけた歴史もあります。
「あらゆる要望に応える技術を持った有田は、言うなれば“使い手主導”で発展してきた共同体。もちろんそれは、今でもずっと変わっていませんよ」。
それでは、先述の“使い手主導”という環境は、つくり手たちに何をもたらしたのでしょう。その問いに対する十四代の答えは、実に明解なものでした。
「例えば千利休と京の陶工・長次郎がそうだったように、そこには使い手とつくり手がキャッチボールをする関係性が自然に生まれます。そんな両者が互いに美意識をぶつけ合い高めることで、日本の陶芸文化は徐々に研ぎ澄まされ、芸術性を獲得していったのです」。
“使う”というシンプルな行為がつくり手の枠を超え、文化そのものを創出していく。スケールの大きな話の中に、日本文化に与えた有田焼の貢献度が窺えます。
「そもそも鑑賞のための絵画や彫刻などがなかった日本では、芸術品は暮らしの中のものでした。仏像は拝むためのものですし、襖絵や屏風絵は間仕切りに使うもの。漆器や陶器もそうですよね。こうした日々の営みのなかに美を求め、発見し、暮らしを豊かにするのは我が国ならではの感性。『用の美』という言葉が生まれる何百年も前から、日本人はその概念をすでに肌で感じていたのではないでしょうか」。

つくり手の美意識を知れば、
焼き物はもっと面白くなる

ならば、使って初めて見えてくる有田焼の美もあるはず。それには焼き物と使い手の関係性が、少なからぬ影響を及ぼしそうです。十四代に助言を求めると─。
「自分でも意識していることですが、焼き物に触れるときはできるだけ直感を信じてあげること。よく“綺麗な花瓶に花を生けると花が負ける”などと言いますが、そうとは限りません。生けた花と花瓶が一緒になって綺麗な空間が生まれるんです。既存の常識や価値観に縛られず、大いに焼き物と遊んでみてください」。
十四代自身、常に人々の声に広く耳を傾けています。自分にない発想や言葉に触発され、つくった器が高い評価を受けたことも少なくありません。
「昔、ある方に、“予定調和からは緊張感は生まれないよ”と言われたのを今でも覚えています。現状に満足せず、挑戦することがものづくりには大事ですし、新しい何かがつかめた時は本当に楽しい。若い時は見えなかったものに、これからたくさん出逢いたいと思います」。
いにしえの技術「墨はじき」を現代に蘇らせた、この十四代の先進性こそが「今右衛門窯」を未来に突き動かす原動力に思えます。こうして有田焼の一つひとつに対して、つくり手が込めた思いを知れば、私たちがそれらを使う喜びもいっそう深まるに違いありません。
「だからこそ機会があれば、なるべくつくり手と話していただきたいですね。こんな目立たない場所にも精緻な絵が…といった気づきや情報は、器を使う楽しさをもっと濃密にしてくれますから。コミュニケーションを通して私たちの美意識を味わうことも、『用の美』の醍醐味として捉えていただけたら幸いです」。
伝統の担い手として確固たる意志を持ち、揺るぎない品格を色鍋島で表現する十四代。その一方、しなやかな現代のセンスで新たな有田焼も模索し続ける名匠は、丹念な手仕事の先にどんな夢を見ているのでしょう。「作品が売れることよりも、それをお使いのお客様が少しでもその作品と関わることで幸せになられることが大切だと思っています。有田焼の職人として、これ以上望むことはありません」。

九州陶磁文化館館長が考える「用の美」和食器は、いつだって“使う喜び”に満ちている

「用の美」を楽しむなら、
寛容な心で器と接すべし

有田焼の理解を深めたい方にとって、「佐賀県立 九州陶磁文化館」はまさに知の砦。「柴田夫妻コレクション」をはじめ、豊富な展示品を通して新たな興味の扉を開いてくれます。そして館長の鈴田由紀夫さんもまた、自ら有田の歴史研究にいそしむ器愛好家の一人。「用の美」について語るコメントも、いつしか熱を帯びていきました。「江戸時代、欧州に輸出された有田焼の裏側が真っ白なのをご存知ですか?西洋では器を置いて食事するため、そこまで絵付けをしないのです。反対に器を手に持つ日本では、食後に裏返して高台や絵柄を愛でる習慣がありますから、職人が細部まで手を入れます。さらに料理の下に絵が隠れていたり、使う人の幸せを願う文様が入っていたり……そんな使う喜びに満ちた和食器が私は好きです」。誠心誠意、作陶に身を捧げた有田の職人たちへの敬意も尽きることがありません。

「かつて彼らがつくった輸出向け商品には、コーヒーサーバーやスパイス容器といった、当時誰も見たことのないものがありました。しかし彼らは経験と想像力で難業に挑み、驚くほど使いやすく美しい道具に仕上げました。有田が400年以上も人々に愛されるのは、過去の職人が汗と努力で築いたブランド力、創作力のおかげでしょうね」。この歴史ある器の「用の美」を楽しむには、元来日本人が持つ寛容さがポイントになると鈴田さんは言います。「茶道の世界では、焼く過程でついた器の傷さえも“風景”や“風情”として愛でることがあります。そもそも手仕事の器だと、絵の筆致には“ゆらぎ”が出るし、カチッとした正確な形もつくれませんよね。でも、それが本当に素晴らしい器なら、些細な欠点が深い魅力や味わいに変わるんです」。それを感じるための鑑賞眼を養うには、やはり優れた焼き物をたくさん見て感性を磨くのが一番。その最良の“学び舎”の一つは、そう、間違いなく「佐賀県立 九州陶磁文化館」です。

旅 程
泉山磁石場
佐賀県立 九州陶磁文化館
柿右衛門窯
今右衛門窯
富久千代酒造
酒蔵オーベルジュ
御宿 富久千代

有田焼 用の美を堪能するオーダーメードの旅物語The Premium ARITA

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担当
田中 正則 Tanaka Masanori
企画
Eまちグループ株式会社